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自分の居た小学校が少し変だった件

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今となっては

自分の過ごしたのは関西のとある地域の小学校。

当時自分では特に変だと思って過ごしたことは無かったけれど、後々になってみると凄い違和感を感じる。

というようなことが多々あったので紹介したい。

音楽の教科書

自分は恥ずかしながら、引っ越して静岡に行くまでは国歌・君が代を歌えなかった。

なぜなら、歌ったことがなかったから。

当時は当たり前だと思うというか、仕方ない。

歌ったことがなければ歌えないのは当然だ。

まず音楽の時間に最初にすること。

それは最後のページに学校の校歌の歌詞のプリントを張り付けることなんだ。

これはどういうことか。

だいたいの音楽の教科書の最後のページにあるのは何か。

もちろん君が代である。

おわかりいただけただろうか。

あ そういう感じですか って感じになると思う。

イベントでも歌わない

入学式や卒業式など、各種イベントにおいても君が代の出る幕はない。

確か歌う場面はあったと思うんだけど、歌った記憶はない。

保護者の居る局面でも、一応曲が流れたけど歌わなかった。

歌う必要がないから、歌わなくて良いよ的な事を先生に言われたような記憶がかすかにある。

うーん、思い出してもなかなかに思想強めというか、変わった地域だったんだなと改めて感じる。

ブレザーで過ごす

また、自分は小学校へは制服で通っていた。

ブレザーを着て毎日過ごしていた。

しかし私立ではなく公立なんだ。

後に知ったことで、公立で制服のある学校は少しレアらしく、結構驚かれる。

しかし自分としては、毎日気楽な私服を着て通える隣の小学校の生徒が正直羨ましかった。

これも何故かは考える事もなかったんだけど、理由は単純。

各家庭の貧富の差を見えなくする為だ。

マジかよ。

格差はそれなりにある

商売が上手くいってる家庭もあれば、市か県の提供してくれる団地住まいの家庭まで幅広くいた。

もともとその地域の豪族みたいな奴の末裔みたいな漫画設定みたいな家の子も居た。

そんな各家庭の格差をぼやかす為にも、この制服の制度は一役買っていたんだろう。

なんとも、自分の預かり知らぬところでそんな大人の事情があったとは。

まぁ親も余分な服をたくさん買う手間が省けて良いのかもしれない。

また他にも、何か子供が悪さをしたときに識別しやすい側面もあったことと思う。

子どもはろくなことしないから。

戦争関連の勉強が多い

またセンシティブなテーマだけど、これがマジで多かった。

事あるごとに戦争を扱った劇や歌を歌う機会がある。

マジでこれは毎年。

なので自分の小学校の生徒はかなり戦争の知識はあると思う。

極めつけに、修学旅行は広島。

原爆ドームを見て、平和記念公園で語り部の話を聞いて反戦について思うところをまとめて提出させられる。

まあこれ自体は非常に勉強にもなったので良かったかと思う。

思想を仕上げに来る

このほかにもまだまだあるんだけど、やたら長くなるのでここらにしておきたい。

結論として、子供に偏った思想をたくさんインプットするこの小学校の方針は少し気になった。

選択肢と考える力を狭めるような手法ではなくても、やりかたはあったんじゃないか思う。

この他にも変わったところはあるので、また機会があったら書いていきたい。

これが誰かの共感をよべたら嬉しい。

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